インプットやアウトプットより、思考の量と質、読書の経験値、本と自分との関係やその変化、すなわち、読書プロセスを重視する読み方。牛が草を反芻するように、短い文を何度も玩味し、自分の新たな血肉に変えていくこと。読書を愛する姿勢のひとつ。
関心の経済を遠目に眺める
関心を惹きつける経済がある。私のことはあまり知られていないから、もっと知ってほしい、と。しかし、本当にその人のことをよく知りたい人がいるだろうか、と問えば、人間の悲惨さをよく知れる。
十年知による十四年後の自由活動
なんだかんだ、知識を持つには10年かかり、知恵になるには14年かかる。14年とは1万時間である。当時は本当かなぁと思っても、過ぎてみればそうだった、という知見は多くある。それは、きっと愛に似ている。
自由な仕事の人は何をしているか
仕事から自由になるには、仕事をやめて独立し新規事業を立ち上げなくてはならないのか?否である。自分をよく知って、仕事を離れて見て、趣味のために利用する暮らしは、確かに自由な生活の一つだと思う。
お得に対する引け目を解消する
お得に物を買ってばかりだと、売主や製造元に対し、市民として申し訳なさが先立つ。この問題については視点を変えて、より大きい投資を続ければ正当化できるだろう、か。
あつさは薄められるということ
若いうちはあんまり具体性に乏しいので、熱い活論を聞くと胸が惹かれる。ただ、熱を持ったからには形にしていかなくては、冷めやらない日夜を過ごすしかない。ゆっくり冷やし固めたらと思う。
つまらない話の構造について
情報提供業で食っているプロの情報が面白いので、どうしたら情報で食えるか、知りたい人は多い。私が面白いと思う情報とは、どんな情報も面白くながめられる情報である。
楽しいことを教えるということ
楽しいことがないという人が中年に少なくない。けれど、子供も若者も老年者も、いまや楽しいことのひとつやふたつ、簡単に見つかって暇を楽しんでいる。私もすっかり暇がない。
事物を語ることについて
「論理哲学論考」を初めて読んだ頃の読書によって私は数々の性質を失った.代わりに,人とは異なる特殊な性質を見つけられた.読書に対して感謝もあるが,憾みもあり,本との出合いは数奇である.
個性とは「代表性」である
個性って何だろう.私が受けた教育では,個性が重視されていた.当時10代の私にとって「個性」という単語は意味不明で,最近ようやく個性とは「代表性」のことであると納得するようになった.